丸端(まるはな)の井戸は、主要地方道(岡山~牛窓線)の海吉交差点の北方約70メートルの丸端台地の東に隣接し、丸端橋交差点の北東にある。

「丸端の井戸」については本ホームページの「温故知新~ふるさと探訪」に詳述があるが、筆者の記憶ではもの心ついたころから昭和28年頃までは手こぎ式の汲みあげポンプがついており、井戸枠は円形の豊島石(てしまいし)だったと思う。

平成11年、初代のポンプ小屋

その後は上水道の普及に伴い、井戸への転落等の危害防止上の観点から井戸枠はコンクリート製に改修され、井戸蓋も2枚のコンクリート製のものとなった。

非常災害時に備えるかたわら、大師堂や地蔵尊の清掃や供花のために井戸が使えるようにならないかとの声があり、平成11年に至り時の小野田総務部長主導の下、青年部の支援を得て電動ポンプを設置し、機器保護のためにコンパネによるポンプ小屋を作成~設置した。

18年が経過し損傷したポンプ小屋

平成29年に至り、日光や風雨に曝されたポンプ小屋は損傷著しく、とても「名所旧跡」に似つかわしくない醜態となり、時あたかも東組地内の地蔵尊の移設(出村スポット「丸端台地のお地蔵さん」参照)で発生した屋根の再利用計画にも呼応し、先ずはポンプ小屋を作り替えることとなり、初代ポンプ小屋の作者の小野田相談役が設計・施工を担当した。

2代目のポンプ小屋もコンパネを使用し、ネジ釘その他の金具類はすべてステンレス製品を使い、また、ステンレス製品でない鉄部は防錆塗装を施すなど、腐食防止に意を用いた。

また、井戸枠や井戸蓋に接する小屋の基(底)部は、雨水の浸潤を防止するために約5ミリの隙間が空くように設計してある。

新装なった2代目のポンプ小屋(H29年5月)

残された問題は、このポンプ小屋の保護(損傷の防止)である。そこで、前述のお地蔵さんの屋根をこの井戸ポンプに再利用することになった。

屋根は大工の故湯浅芳夫棟梁の手によるものだが、これも小野田相談役が改修に当たり、四本の柱は単管パイプを使ってその上下部には単管用固定ベースを取り付け、コンクリート2次製品の土台にアンカーボルト固定し、本来はカラートタン葺きであった屋根にはガラスネット波板を葺いて設置を完了した。

丸端井戸の改修完成写真 (H29年5月)

屋根の設置工事に際しても景観と防錆に配慮し、亜鉛メッキの金属部分には防錆塗装の上にこげ茶色のペイントを塗って旧跡に相応しい落ち着いた色調とする一方、アンカーボルト等の金属部にはすべてステンレス部材を使用した。

また、強風に煽られて屋根が飛ばされるのを防ぐため、屋根本体はカラー鉄線で4カ所を井戸枠にアンカーボルト止めしてある。

屋根に降った雨水が直接井戸の天盤上に落ちない設計になっていて、ポンプ小屋の耐用命数が飛躍的に延伸されることが期待
される。

(文・写真:小野田)